そのうちに誰かが文芸部にイノベーションを起こしてくれるような気がしないでもない。
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部誌の「自由創作」のスペースでやってもよかったかもしれません。
僕の短歌のでき方には、おおよそ二種類あります。一つ目は出てきたアイデアを57577に整える方式(一生が唾液で完結...など)。二つ目は使いたい言葉について発想を飛ばして、同じ短歌に詰め込んで面白そうな他の言葉を探してくっつける方式(消しゴムは最終兵器...など)。そして、(少なくとも150号掲載作品においては)圧倒的に後者の方が多いです。アイデアの閃きを必要とせず、簡単に短歌を作る事ができるからです。理論上言葉ひとつにつき一首作れるわけですからね。理論上があまりに机上論すぎますね。
そのことは、食べ物が入っている短歌がたくさんあることから事実と分かってもらえるでしょう。
そして今回のブログにおいても、この方式で短歌を作っていきたいと思います。まあそもそもアイデア産だったら『思考の流れを文章化』する余地がありませんからね。
さて、なんの言葉を使いましょうかね。せっかくなら「ブログ」とかどうでしょうか。良いですね。これでいきましょう。
これについて詠む上でざらっと調べてみた所、語源は「Web+Log」(ウェブでの日誌)とのこと。なるほどつまりネット特有の要素をつまみ上げれば良い短歌になりそうですね。
ネット特有...。回線を切れば虚無になるそのあっけなさと、全世界から見られる可能性を持つ存在感、なんてどうでしょうか。この性質を持つ他の言葉を探してみれば、比喩なり発想なりができるので探してみましょう。
すぐ思いつくのはアイドルやタレント。噂ひとつで表舞台から消えかねないあっけなさと多くの人に知られるという事実がこれと似ています...が、よく考えたら「彼らがネットで有名になる」なんていうのがとても一般的であり、ふたつの言葉の距離が近すぎます。発想が飛ばないし比喩にも使いづらいです。不適。
そもそもネット自体があらゆる事象に偏在している(可能性が高い)ので、ほどよい距離感の言葉を見つけるのはかなり厳しそうです。なのでやっぱり『この性質を持つ他の言葉を探』すのはやめて、他の思考の仕方をしてみましょう。
「ブログでは絶対にありえない事」なんてどうでしょう。ありえない事が起こる世界を575くらいで描き、「そんな世界だからこそ生まれる不気味な価値観」を77で語る。こういう構成にでもしてみましょうか。「二次元に四次元ポケットがあるならば...」などと似ているからマンネリだ!と思われるかと思いますが、無視。
とにかく、そのような事を列挙してみましょう。
・アカウントが前世の自分との共有・文字が勝手に愛の囁きに書き換わる・近況を打ちこむたびに自分の身の回りが変わり、結果嘘をブログに書いたことになる・『冬』という言葉を使うたびに冬が近づく・元神様が更新をしている・元閻魔が更新をしている・打ち込んだ言葉が100%言霊になる・ブログを投稿するたびに、自分の先祖も似たような出来事に遭う
...えー一旦ストップ。短歌に使いづらい発想ばっかり出てきますね。小説でも書いとけ。
今パッと出てきたのは、「ブログに読/点を打つたび/人生に/張りが出てきた」という5757です。もうこれでいきましょう。これの推敲で行きましょう。
まず語順を調整したいです。読点と張りについての短歌なのに、綺麗に単語が切れないのは問題です。
読点をブログに打つたび人生のリズムが軽くなってゆくかな
一旦形になった第一稿。これを叩きましょう。
展開が僕の短歌らしくないなと思うので、後半の577を替えましょう。何回か僕の短歌を読み返して思ったのは、『執拗なほど具体性や日常性を持ってくる』点です。作品例を出すなら「ちはやぶる...」や「神様もお祈り」とかでしょうかね。
読点をブログに打つたび割り箸が綺麗に割れる確率上がる
第二稿。一番最後の7に窮屈さを感じ、スッキリさがあまり無いので修正したいですね。
読点をブログに打てば割り箸もずっと綺麗に割れやすくなる
第三稿。「読点によって文章を読みやすくなるように整える」という要素が掴みにくいですね。これは第一稿からあったから真っ先に直すべきだったかも。
読点を打って言葉を読みやすくすれば割り箸割りやすくなる
「読」「割」が重複していますね。割り箸に関しては間に言葉を詰めれば良いですが、読は言葉を調整しましょう。「割りやすく/すれば」も悪いです。
読点で文を綺麗にできるので割り箸だって綺麗に割れる
うーん、「文を綺麗にできるので」がイマイチに感じるものの、修正後の言葉がパッとは出てきません。
読点で文を綺麗に切れるのに野菜は上手く切れないなんて
......よし、これで完成でよいでしょう。
料理は苦手な物書きが語り手なのでしょうか。分野違えば得意も変わる。このことが「...なんて」という口語調でコミカルに描かれています。
はい、自分でインスタント評論文を書いたところで完成にしましょう。実は今回は、二日間の昼休みを丸々使ってようやく書き上げる事ができました。執筆時間は過去最長かもしれません。
学校祭が終わり、僕たち部員の書いた文字がいっぱい印刷された紙たちが外部へと飛び立っていきました。考えれば当たり前ですが感慨深いですね。「かんが」で韻を踏めていますね。缶がカンガルーを鑑みる。
ちょうど先日、中学の頃からの友人の何人かに部誌を渡すために少々の遠出をしました。まあ札幌から出ていないんですけど。
その友人は中学の頃の僕の文章をよく読んでいたため、僕のペンネームを伝えなかったにもかかわらず僕=囲回曰だという事を当ててきました。やっぱり文章にはその著者らしさがよく出るということなんですかね。自分らしさを表現するのに躍起にならなくても、勝手に読者に感じられるというのはある面で安心感がありますが、包み隠そうとしても勝手にどこかからか漏れてるとい考えると不安感もあります。
一体何の話をしているんでしょうか。書く事が芋蔓式に、連組ゲームをするようにぬるぬると少しづつ違う方向へ向かってゆく前に、空気に埋没する前に、閑話休題と叫んでおくことにします。
学校祭の展示では「15分の手紙」「創作単語しりとり」を主に行ったというのはみなさんご存知であるという事は前提とします。
現代人は全然手紙を書かない。いや昔の手紙事情をいまいち知らないためそう言い切るのも悪いような気がするんですが、何か特別な年中行事が無いにも関わらず手紙を書く/貰うというのが(記憶の中では)初めてになるくらいには、僕と手紙の距離が開いています。そしてそれは僕だけではないとも思います。
そんな現状である中、しかも初めましてから十数分の人に手紙を書くなんて!当日の前までは相当難しいことのように思えたため、希望者がいても全部先輩に丸投げしようかとも心の中で思っていました。新入生らしく慎ましく。
ところがどっこい、学校祭初日、その頼りになる先輩が他のシフトのために退室をしているタイミングで、その手紙の希望者がいらっしゃったのです。
書きました。「便箋二枚くらいが目安かな」という先輩の言葉を思い出しつつ、便箋三枚に亘る手紙を。
そして渡しました。このお客様には「囲回曰からもらった手紙」としてではなく「札幌西高等学校文芸部からもらった手紙」として読まれるというのは当然のことです。他の部員の方ならもっと素敵な手紙を書くのだろうか......とも思いつつ、いやこれは僕にとっての理論上最高の手紙だ!と思いながら渡した手紙を、さながら貴重品のようにバッグに仕舞われた瞬間がありました。その時の感情を僕は「達成感」と呼ぶことにしましょう。
その後、二日目も一通だけ手紙を書き(今度は便箋四枚)、僕にとっての15分の手紙は一旦幕を閉じました。便箋などは余っており、もしかしたら来年もやるかもしれないので「一旦」と書いておきます。
創作単語しりとりについては部誌で回収する予定なので今回はここでさらば!思ったよりも長文になったな!もちろん一回の昼休みで全てを書き切っているから僕のやる気の方向性が本当に分からない!勉強にそれを向けたらお前はどうなるんだ!?
タイトルに句点を付けるのを辞めようかと思っている今日この頃。僕は「俳句甲子園のあの時に、相手方にこんな質問を投げかけたかった!」という後悔に似た激しい思いが突如頭の中を占拠する病を患っておりますが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
学校祭の準備週間に入り、学級の準備を促すべく部活動のスタート時刻が、これまでより遅めに規定されました。
僕はこの事について少々残念に思いはするものの、行灯作りに参加するという明確な道があるため(実際先日も手伝った)、大した問題ではありません。
部活動開始の時刻に行灯制作から離脱する、という
僕と同じような行動をする人をちらほら見かけるため、部活を最優先にしたい人もこの状況にそれなりに順応しているのでしょう。
順応する事は屈服する事と同義だ、と言わんばかりにこの「部活動時間繰り下げ」に怒りの意を示す人もいるかもしれません。しかしながら、おそらくそういう人たちは四捨五入して捨てられる側の人です。
色々な事をとりとめもなく書いていますが、結局この文章で言いたい主題は、「学校祭は果たして準備が万全で迎えられるのだろうか」という事です。
行灯作りに参加していると前述しましたが、土日の招集が無い。今これを書いているのも土曜日の朝なんですが、何で行灯責任者は招集をしないの?そもそも土日にやるという声明自体無いから(どうせあるんだろうけど)勝手に行く事もできないし。まあ作業可能時刻まではまだ時間がありますし、焦らずとも何かしらアクションはあると思いますが。
学級の準備だけでなく、部活の展示についてもです。
展示の一環として「来客に手紙を書く」というのをするんですが、いやはや僕に上手い手紙が書けるとは思えません。報告や感謝の手紙など、明確に書きたい事があるのならば比較的楽に書けるとは思いますが、特にそう言ったものがなく書く手紙というのは本当に難しいし書いても読んでも面白くないです。
前回の部活の時、実際に『来世の自分へ宛てた手紙を書く』というのをやってみたのだから分かります。伝えたい事を考えないまま書き始めたため、一貫性がかき氷の塩分量くらい少ない。というか無いと言い切って何の問題もないくらいです。
当日は何か伝えたい事をでっち上げて書いた方が良いかもしれないなと思いましたとさ。はっぴいえんど。
先日俳句甲子園の北海道地区に出場してきました。
初戦の先発が僕の句で、悲しい事にそこで負けてしまったのですが、そこから怒涛の五連勝によって決勝まで進出できました。摩訶不思議。
その負けを喫した句は、それにすると決めた時にとあるOB様様から「審査員にウケるかどうかが運」という言葉をいただいていました。そうだろうなと思いながら本番、審査員からの評価を聴いてみると......
- 大体審査員間で1点くらいしか差が生まれない、10点満点の「作品点」に審査員間で2点差くらいあった(あまり良くない/中々面白い くらいの差)
- 審査員コメントで「チャレンジ感のある句」と言われた
来年も「チャレンジ感のある句」でリベンジしたいと思います(€実力の基盤を作れ
いつも飄々としてる先輩が緊張していてしきりにヌイグルミをもふもふさせている様子を見たり、他校の句について脳内で自己完結のディベートをしたり、審査員が時折ユーモアを効かせた事を言うのを聞いたり、甲子園の最中の様子を描いた川柳をこっそり作ったり、色々楽しい事があった大会でした。
来年こそもっと完成度の高い俳句を作り、もっとディベート中に発言し、もっとハキハキと喋られるようにしたいです。
次回は第30回。キリ番。絶対に結果を残して「札西、すげえんだなぁー(^q^)」って思われたいです。
タイトル通り、今回は、例えば「自己紹介」「運動会の出来事」などといった、書きたい事は用意していません。つまりこの状況で面白い文章を書くには、即興性と地力で組体操をさせなければなりません。つまりかなり難しいです。
とはいえ、できないだろうとふんぞり返って書くのをやめてしまうと、たまにしかブログを書く機会がなくなってしまいかねません。例えば部活の大会(二週間後)、学校祭(確か一ヶ月くらい後)といった大きな出来事が...
結構ハイペースだった。
とはいえこれでは月二個のペースとなってしまい、かの有名な如月琴葉氏の月十五個に大きく負けてしまいます。いやそれ自体はどうでもいいのですが、単にもっと多くの記事を書く事はできるのではないかと思うのです。日常の些細な事に面白さを見出し、文章化するというのは詩人においてとても基本的な行動なのです。ならば楽にやれるようにならねば。これはそれの練習なのです。別に詩人になりたい訳ではないんですけれども。
さてはて、そう啖呵を切ったは良いものの、いかんせん「些細な面白さ」を見つけないまま文章を書き始めてますもの。上手くいくわけがないのです。
仕方ない。こうなったら突然の企画「AIに無理難題言ってみた」をやるしかあるまい。幸いにも、ついさっきの授業の資料はAI生成によるものでした。AIと日常が接近した今こそがこの企画を実行する最高の瞬間でしょう。
【六文字で詩を書いてください】
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【絵文字だけで有名な文芸作品を紹介してください】
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(都合上絵文字が掲載できませんが、本、鏡、青虫、蝶の四つが並べられていました)
僕ならばこうする......と言いたいところなんですが、残念ながら絵文字を掲載できないので残念。
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漁夫海浜救亀。招待海底宮殿。豪華歓待歓楽数日。帰郷希望。贈与禁開玉匣。地上既経数百年。孤独絶望。開匣白煙放出。青年瞬時老翁化。
結構内容が伝わりやすいですね。このお題は「無理難題」とは言えないくらい緩く、文の改善の余地が大きいからでしょうか。にしても結構中国語のような語順にするんですね。
いやはや、思ったよりもAIは制約があれば正常な動作をしませんね。おそらく人間のように「伝達に制約があるから、伝えやすい情報に絞ろう」という思考が働かず、
・何も制約の無い状態ならば何と回答するか考える
→それを制約に則って変形させる
という仕組みで回答しているからでしょう。この調子では、まるで僕たち人間が「緊急事態に強い」という性質を持つかのように思われるではありませんか。感情を持たずパニックを起こさず常に冷静に判断できるAIの方が(理論上は)緊急事態に強そうなのに。
案外面白かったので、またやるかもしれません。今度はもっと自分の感想が入る着地点にしたいです。残念。

