プロフィール
HN:
札幌西高 文芸部
性別:
非公開
自己紹介:
北の大地なる札幌西高校の文芸部員がまったり管理するブログです。活動報告、雑談などなど混ざってます。
そのうちに誰かが文芸部にイノベーションを起こしてくれるような気がしないでもない。
*コメントはお気軽に。ネチケットお願いします。
*リンクはフリー。相互リンク歓迎します。
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最新コメント
[05/21 如月 琴希]
[05/18 その友達]
[10/30 きさら(如月琴希)]
[09/29 照日晴太]
[07/23 通りすがり]
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あなたも「なきにけりかな」の情報量の少なさに指差し「アシ!」(悪し!)と言いませんか。
どうも、冬が近くなると手先が冷えるという体質を毎年忘れます、囲回曰です。
僕は元々、小説を書く気満々で文芸部に入りました。まあ元々といっても、厳密には中学時代までで、見学に行ったくらいの時では既に迷いの段階に入っていたんですが。
しかし、四月(...五月だったかな?)にて、次の部誌の発行まであまり時間がないと知った僕は、ひとまず小説よりも早く完成する作品を作る事にしました。それが短歌です。
とはいえ、その時はまだ恐る恐るで、あまり制作が面白くなければ、数首だけ作ってすぐ辞めるつもりでした。
ですが、ずる。ずるずるずる。面白かったのです。しかも制作がホチキスの針を紙から外すくらいの簡単さだったのです(すごく楽だとも一切の辛さが無いとも長時間続けられるとも言ってない)。勉強をしない正当な理由を探すことが多かったのが功を奏してか、ある程度まとまった数の短歌を部誌に掲載でき、そしてなんとその短歌たちを先輩方からお褒めいただいたのです。
こういった経緯で僕は短歌の面白さを知り、ざぐざぐと短歌作品を作るようになりました。短歌を詠むオノマトペはざぐざぐで合ってんのか。
しかし、ざぐざぐの矛先が短歌に向いたということは、それと全然ジャンルが違う小説において僕はノーざぐざぐしているという事で、元々の志を忘れてちっとも小説を書かない時間がありました。
しかしながら!
昔に作った小説のネタを読み返したり、小説のネタになりそうな夢を観たり、新しいネタが僕の部屋の戸を叩いたりしましたがために(言葉遣いのゆらぎ)、小説を書く気力が浮かんできたのです。
今書いている小説は、5000文字くらいを目安に書いており、執筆状況は1900文字くらいです(十月二十二日現在)。
久々に小説を書き上げたい(大会に小説枠で出した『この商品のレビュー』は小説の範疇に入れるか微妙なので一旦考えない事にする)。そうは思っているものの、いざキーボードを触り始めると全然進まねえ。雰囲気の演出なんかは推敲時に調整すればいいのに、書いた側からバックスペースぽちぽちして変更変更。そんなだから少し書き進めればすぐに疲れて、書き溜めている短歌を読み返して修正ポイントを探し始めたり、吟じたりする。そしてその言葉選択の不気味さに笑ったり、いやこの言葉選択には道化的魅力だけでなく言語学者も頷く素晴らしい技巧があるんだ!とそれらしい理由をでっちあげてみたり。
短歌を作る姿勢としては立派ですよ?でも今あなたは何をしようとしてパソコンを目の前に置いているのですか?
心の中のごっとおぶぶんげーがそう語りかけてきます。僕は無視して、何日か前に作った、超絶破調の短歌を呟きます。65659。でも語呂に悪さを感じないので、まあいいかと思うことにします。整った修正先を思いつかないからというのも理由の一つかもしれませんが、表層心理にそんな理由は浮かびやしません。
おい無視すんな。お前に与えた文芸の才能を取り上げるぞ!
ハッタリか、真実か。ハッタリならばごっとおぶぶんげーから平常心を失わせるほど短歌への熱があるという事で、良い事。真実ならば僕には文芸の才能が与えられているという事が証明できるので、良い事。どうだとしても良い事です。
短歌において、助詞というのは悩みどころです。「無花果の腐りゆく」と「無花果が腐りゆく」は、映像的にはほとんど一緒ですが、やはり与える印象は異なります。僕は少し考えたのち、(助詞に『が』を使うと無花果の方にばかり視点が行ってしまうな。見て欲しい所は腐敗という現象であり、しかもこの短歌の主題は別の部分にあるから、助詞は『の』にしよう)と考え、元稿から一文字も修正しないことにしました。
おい小僧!小説を書け!それともお前の創作脳にとって小説とはただインプットするためのものでしかないのか!?ばーかばーか
......神が誰かへ『ばーか』などと口にする様子を始めて見た。いや、こんな幼稚な言葉遣いをごっとおぶぶんげーともあろう存在がするはずがない。僕はそう逡巡しました。そして、決意。沈黙を徹してきた口を開き、ごっとおぶぶんげーに言い返すことにしました。
「お前、何者?」
......は?
声色、姿形、すべてがごっとおぶぶんげーと一致している彼は、何者かを僕から問われるとは完全に想定外だったのか、間抜けな声を出しました。その声を聞いた僕は、考えていた小さな可能性が少し確かな輪郭を持ったような感覚を持ちました。
「お前はごっどでも何でもない。どうせ名もない『干渉者』だろ」
な...
予想は的中のようです。その声をかけてきた存在は干渉者だという仮定は正しかったようです。僕は困惑と悔恨が混ざったような
今僕は何を書いてた?希釈済みの野菜スープみたいな文章を書いてたよな?
気を抜くとこんなことが起こるなんて、全く予想だにしませんでした。何を書きたかったんだっけ。(読み返す音)あ、そうそう。小説を書きたい気持ちはあるのに、短歌の存在がそれを隠してしまっているという状況説明ですね。
書きたいです、小説を。
この今の気持ちを、『書けて楽しかったです、小説を。』に変えるためにまず僕は、スマホのメモアプリにて、作品の案を書き出すことにしました。現時点で五個。こうすることによって、僕には書くべき何があるのかを可視化し、一体僕はどうすればイインダ(呆)状態の時に「この作品の制作をせよ」と自分へ語りかけやすくできる、という狙いです。
というわけで囲回曰くん。152に間に合うように、まだ1/4くらいしか書けてない小説を完成させるんだ...よ...?
どうも、冬が近くなると手先が冷えるという体質を毎年忘れます、囲回曰です。
僕は元々、小説を書く気満々で文芸部に入りました。まあ元々といっても、厳密には中学時代までで、見学に行ったくらいの時では既に迷いの段階に入っていたんですが。
しかし、四月(...五月だったかな?)にて、次の部誌の発行まであまり時間がないと知った僕は、ひとまず小説よりも早く完成する作品を作る事にしました。それが短歌です。
とはいえ、その時はまだ恐る恐るで、あまり制作が面白くなければ、数首だけ作ってすぐ辞めるつもりでした。
ですが、ずる。ずるずるずる。面白かったのです。しかも制作がホチキスの針を紙から外すくらいの簡単さだったのです(すごく楽だとも一切の辛さが無いとも長時間続けられるとも言ってない)。勉強をしない正当な理由を探すことが多かったのが功を奏してか、ある程度まとまった数の短歌を部誌に掲載でき、そしてなんとその短歌たちを先輩方からお褒めいただいたのです。
こういった経緯で僕は短歌の面白さを知り、ざぐざぐと短歌作品を作るようになりました。短歌を詠むオノマトペはざぐざぐで合ってんのか。
しかし、ざぐざぐの矛先が短歌に向いたということは、それと全然ジャンルが違う小説において僕はノーざぐざぐしているという事で、元々の志を忘れてちっとも小説を書かない時間がありました。
しかしながら!
昔に作った小説のネタを読み返したり、小説のネタになりそうな夢を観たり、新しいネタが僕の部屋の戸を叩いたりしましたがために(言葉遣いのゆらぎ)、小説を書く気力が浮かんできたのです。
今書いている小説は、5000文字くらいを目安に書いており、執筆状況は1900文字くらいです(十月二十二日現在)。
久々に小説を書き上げたい(大会に小説枠で出した『この商品のレビュー』は小説の範疇に入れるか微妙なので一旦考えない事にする)。そうは思っているものの、いざキーボードを触り始めると全然進まねえ。雰囲気の演出なんかは推敲時に調整すればいいのに、書いた側からバックスペースぽちぽちして変更変更。そんなだから少し書き進めればすぐに疲れて、書き溜めている短歌を読み返して修正ポイントを探し始めたり、吟じたりする。そしてその言葉選択の不気味さに笑ったり、いやこの言葉選択には道化的魅力だけでなく言語学者も頷く素晴らしい技巧があるんだ!とそれらしい理由をでっちあげてみたり。
短歌を作る姿勢としては立派ですよ?でも今あなたは何をしようとしてパソコンを目の前に置いているのですか?
心の中のごっとおぶぶんげーがそう語りかけてきます。僕は無視して、何日か前に作った、超絶破調の短歌を呟きます。65659。でも語呂に悪さを感じないので、まあいいかと思うことにします。整った修正先を思いつかないからというのも理由の一つかもしれませんが、表層心理にそんな理由は浮かびやしません。
おい無視すんな。お前に与えた文芸の才能を取り上げるぞ!
ハッタリか、真実か。ハッタリならばごっとおぶぶんげーから平常心を失わせるほど短歌への熱があるという事で、良い事。真実ならば僕には文芸の才能が与えられているという事が証明できるので、良い事。どうだとしても良い事です。
短歌において、助詞というのは悩みどころです。「無花果の腐りゆく」と「無花果が腐りゆく」は、映像的にはほとんど一緒ですが、やはり与える印象は異なります。僕は少し考えたのち、(助詞に『が』を使うと無花果の方にばかり視点が行ってしまうな。見て欲しい所は腐敗という現象であり、しかもこの短歌の主題は別の部分にあるから、助詞は『の』にしよう)と考え、元稿から一文字も修正しないことにしました。
おい小僧!小説を書け!それともお前の創作脳にとって小説とはただインプットするためのものでしかないのか!?ばーかばーか
......神が誰かへ『ばーか』などと口にする様子を始めて見た。いや、こんな幼稚な言葉遣いをごっとおぶぶんげーともあろう存在がするはずがない。僕はそう逡巡しました。そして、決意。沈黙を徹してきた口を開き、ごっとおぶぶんげーに言い返すことにしました。
「お前、何者?」
......は?
声色、姿形、すべてがごっとおぶぶんげーと一致している彼は、何者かを僕から問われるとは完全に想定外だったのか、間抜けな声を出しました。その声を聞いた僕は、考えていた小さな可能性が少し確かな輪郭を持ったような感覚を持ちました。
「お前はごっどでも何でもない。どうせ名もない『干渉者』だろ」
な...
予想は的中のようです。その声をかけてきた存在は干渉者だという仮定は正しかったようです。僕は困惑と悔恨が混ざったような
今僕は何を書いてた?希釈済みの野菜スープみたいな文章を書いてたよな?
気を抜くとこんなことが起こるなんて、全く予想だにしませんでした。何を書きたかったんだっけ。(読み返す音)あ、そうそう。小説を書きたい気持ちはあるのに、短歌の存在がそれを隠してしまっているという状況説明ですね。
書きたいです、小説を。
この今の気持ちを、『書けて楽しかったです、小説を。』に変えるためにまず僕は、スマホのメモアプリにて、作品の案を書き出すことにしました。現時点で五個。こうすることによって、僕には書くべき何があるのかを可視化し、一体僕はどうすればイインダ(呆)状態の時に「この作品の制作をせよ」と自分へ語りかけやすくできる、という狙いです。
というわけで囲回曰くん。152に間に合うように、まだ1/4くらいしか書けてない小説を完成させるんだ...よ...?
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ぼけー
ぽけー
ほぇー
多分3番目のニュアンスが一番近いんでないかなぁ、と。
いやいやいや
妄想の擬音ですよ?
ぼけーって、ボケてるんじゃないんだから。
おいちょっとそこ。
お前の妄想なんてもっとぐっちゃぐちゃでどろどろ〜ウフフ〜な感じなんでしょ
とか言わないのー!
キレるよーキレないけど。
あのね、
人間は自分の内心を読まれると不快感を覚える生き物なのよ?
本心を読まないでくれるかなぁ〜あながち間違ってもいないんだから〜(迫)
…ばら撒いていくスタイル。いや、ただの馬鹿だろ(ぉ
ちなみにここまでが本当に本心なのかあるいは演じているのか
疑えばキリがないですね。ここはボーダーの判定はそれこそ「読者の判断にお任せします」
ということです。
ぽけー
ほぇー
多分3番目のニュアンスが一番近いんでないかなぁ、と。
いやいやいや
妄想の擬音ですよ?
ぼけーって、ボケてるんじゃないんだから。
おいちょっとそこ。
お前の妄想なんてもっとぐっちゃぐちゃでどろどろ〜ウフフ〜な感じなんでしょ
とか言わないのー!
キレるよーキレないけど。
あのね、
人間は自分の内心を読まれると不快感を覚える生き物なのよ?
本心を読まないでくれるかなぁ〜あながち間違ってもいないんだから〜(迫)
…ばら撒いていくスタイル。いや、ただの馬鹿だろ(ぉ
ちなみにここまでが本当に本心なのかあるいは演じているのか
疑えばキリがないですね。ここはボーダーの判定はそれこそ「読者の判断にお任せします」
ということです。
勉強をしようとしたタイミングで、すかさずブログ書きたい欲がでてきました、どうも囲回曰です。
何を面白いと思ったのかと言うと、自分の文章です。さっき自分が部誌に載せるために書き上げた文章を読んでいました。それを読むと、なんか絶妙に読みにくいが、でもなんかすらすら読める。そんななんか変な文章だなと思いました。
世の中には、文章がAIが生成したものか否かを見極める術があると聞きます。もしその技術に僕の文章を与えたら、きっと100%人間の文章だという判断になるでしょう。
整っていない。教科書のような文章ではない。この点を僕の文から取り除く、つまりこぎれいな文構造を徹底したらおそらくこの100という数字はお腹を空かせるでしょう。でもそれはあまりやりたくない。それは単に自分らしい文章を書きたいからなのではなく、その文を書くのが面倒くさいから。
逆だと思った?残念でした。
もちろん、読者の頭に入っていきやすい綺麗な文章だというのもひとつの魅力として成り立つでしょう。ですが、ここで思考は止まらず、それとは相反するものにも魅力はあるよな、と僕は考え出すのです。
書き手がすぐそばにいるような。なにか仰々しいメッセージではなく、手元の紙片にサッと書いた文字列のような。AIでも新聞記事でもなく、「囲回曰」が書いた文章なのだと思わせるような。そういった文章にも、前述の綺麗な文章には出しづらい別の魅力があると。
僕はそう考えるから、推敲の時に読みづらい点を全て消すのではなく、その読みやすさと入れ替えの言葉の微妙な意味合いを含ませたまま、よし完成だと判断するのです。
なので僕は基本的にこのブログを書き終わったら修正することなく投稿ボタンを押します。
長々と書いたけど結局のところ、推敲の余地があるまま世に出したとしてもそれは責めないでねという自己保身のためのお願いなのかもしれません。書き始めから日付が変わっており、当時何を書きたいと思っていたのかを忘れてしまった今は、そんな事でさえも有力な説になり得てしまいます。
何を面白いと思ったのかと言うと、自分の文章です。さっき自分が部誌に載せるために書き上げた文章を読んでいました。それを読むと、なんか絶妙に読みにくいが、でもなんかすらすら読める。そんななんか変な文章だなと思いました。
世の中には、文章がAIが生成したものか否かを見極める術があると聞きます。もしその技術に僕の文章を与えたら、きっと100%人間の文章だという判断になるでしょう。
整っていない。教科書のような文章ではない。この点を僕の文から取り除く、つまりこぎれいな文構造を徹底したらおそらくこの100という数字はお腹を空かせるでしょう。でもそれはあまりやりたくない。それは単に自分らしい文章を書きたいからなのではなく、その文を書くのが面倒くさいから。
逆だと思った?残念でした。
もちろん、読者の頭に入っていきやすい綺麗な文章だというのもひとつの魅力として成り立つでしょう。ですが、ここで思考は止まらず、それとは相反するものにも魅力はあるよな、と僕は考え出すのです。
書き手がすぐそばにいるような。なにか仰々しいメッセージではなく、手元の紙片にサッと書いた文字列のような。AIでも新聞記事でもなく、「囲回曰」が書いた文章なのだと思わせるような。そういった文章にも、前述の綺麗な文章には出しづらい別の魅力があると。
僕はそう考えるから、推敲の時に読みづらい点を全て消すのではなく、その読みやすさと入れ替えの言葉の微妙な意味合いを含ませたまま、よし完成だと判断するのです。
なので僕は基本的にこのブログを書き終わったら修正することなく投稿ボタンを押します。
長々と書いたけど結局のところ、推敲の余地があるまま世に出したとしてもそれは責めないでねという自己保身のためのお願いなのかもしれません。書き始めから日付が変わっており、当時何を書きたいと思っていたのかを忘れてしまった今は、そんな事でさえも有力な説になり得てしまいます。
小説を書く ブログを書く 詩を書く
まあいろいろ吟じてみる
絵を描く
こういうとき、まったく静かな空間だと集中できないなんてこともある。自分。
つーかバス遅れすぎじゃい。あと10個ぐらい停留所あるのに時間的にはもう終着ついていておかしくないんだが(この部分はバス乗車中に書かれている)。
脈絡がない。不思議ちゃんとはこういう人のことを言うんですね
で、そういうときに作業BGMっていうのがあるといいわけだ。
わーい、ってなるわけだ
いや、ならんこともある
通勤中でも聞いてるし。あ、通学だわこれ。
NSP おいろなおし
NSP N.S.P2(本来はローマ数字)
NSP 天中平 夕陽を浴びて
H2O POOL
オフコース FAIRWAY
オフコース THREE and TWO
これ全部アルバムなんだけども
今挙げたような、最近聴いているのは全部LPレコードから録っているのでアルバム単位でしか聞けないよのね(正確にはA面B面で分かれてるけど)
THE ALFEE AGES
オフコース as close as possible
このへんはどっちも持ってる。
まあここまで書けば、というか私の記事を読みまくった方ならわかるだろうが、私の場合、好きなアーティスト…これがまあ、結構偏っている。
別に偏ってるなら偏ってるでいいじゃないかって話なんですけども。
ま、音楽については話なんか合いませんわな。当然だけど。
でもですね
作業BGMの選曲に関してはことさらそうですよね。
自分が良ければそれでいい
っていう。
わがままですよ。
でもそれでこそいいんです。人なんだから、これくらいのわがままは、ね。
わがまま
いかにも悪いことって感じの言葉です。そう教育されてるからなんだと思います。
でもその使われ方自体が相手のわがままっていうふうにも思えたりするんです。
要するに、思い通りにならない人間をわがままということにしてみたっていうだけでは? っていう。
まあ実際にどっちがとかって話になるとまあわからんけどねー。
でも少なくとも自分1人で聞く曲の選曲については、他への顧慮がなかろうが自分勝手だろうが、そもそもその相手っていないだろって話。
なので私は偏った好みでニコニコしていることにします。
…そしてこの日、バスは20分遅れ。
金曜から今日にかけて継ぎ足しながら書いてみた記事でしたとさー。
まあいろいろ吟じてみる
絵を描く
こういうとき、まったく静かな空間だと集中できないなんてこともある。自分。
つーかバス遅れすぎじゃい。あと10個ぐらい停留所あるのに時間的にはもう終着ついていておかしくないんだが(この部分はバス乗車中に書かれている)。
脈絡がない。不思議ちゃんとはこういう人のことを言うんですね
で、そういうときに作業BGMっていうのがあるといいわけだ。
わーい、ってなるわけだ
いや、ならんこともある
通勤中でも聞いてるし。あ、通学だわこれ。
NSP おいろなおし
NSP N.S.P2(本来はローマ数字)
NSP 天中平 夕陽を浴びて
H2O POOL
オフコース FAIRWAY
オフコース THREE and TWO
これ全部アルバムなんだけども
今挙げたような、最近聴いているのは全部LPレコードから録っているのでアルバム単位でしか聞けないよのね(正確にはA面B面で分かれてるけど)
THE ALFEE AGES
オフコース as close as possible
このへんはどっちも持ってる。
まあここまで書けば、というか私の記事を読みまくった方ならわかるだろうが、私の場合、好きなアーティスト…これがまあ、結構偏っている。
別に偏ってるなら偏ってるでいいじゃないかって話なんですけども。
ま、音楽については話なんか合いませんわな。当然だけど。
でもですね
作業BGMの選曲に関してはことさらそうですよね。
自分が良ければそれでいい
っていう。
わがままですよ。
でもそれでこそいいんです。人なんだから、これくらいのわがままは、ね。
わがまま
いかにも悪いことって感じの言葉です。そう教育されてるからなんだと思います。
でもその使われ方自体が相手のわがままっていうふうにも思えたりするんです。
要するに、思い通りにならない人間をわがままということにしてみたっていうだけでは? っていう。
まあ実際にどっちがとかって話になるとまあわからんけどねー。
でも少なくとも自分1人で聞く曲の選曲については、他への顧慮がなかろうが自分勝手だろうが、そもそもその相手っていないだろって話。
なので私は偏った好みでニコニコしていることにします。
…そしてこの日、バスは20分遅れ。
金曜から今日にかけて継ぎ足しながら書いてみた記事でしたとさー。
いよわ(2000年9月23日- )は、日本のボカロP・作詞家・作曲家・イラストレーターである。(wikipediaより)
見たらわかる通り一人で曲作って作詞して歌わせてイラスト書いて動画視聴サイトにコンテンツをアップできます。
さすが全部俺皆勤賞。(ちなみに多分小説も書ける)
作風
ピアノが目立つ、DAWを使ってはいるがピアノはほぼ録音。
美しい響きで つ 2 つ を刺激してきたと思ったらいきなりピアノぶん投げてきたりする作風。(火の玉ストレート・フォーク・チェンジアップ)クオンタイズされていない生の音をそのまま出すこともあれば弾いた音を容赦なくぶった切ったり逆再生したり微分音出したりやりたい放題の時もある。
作品
一番有名であろうものはきゅうくらりんで、youtubeで1.2億回再生、niconicoで1000万再生を突破しており、僕がいよわに出会ったきっかけであり、僕がいよわの曲の中で音の解析がトンデモ難しいと感じている曲、ピアノとふあふあシンセはギリわかるが後ろの謎の逆再生はマジで解析ができない。
僕がいよわを好きになったきっかけは1000年生きてるという曲であり、僕の中で世の創作観すべてを変えかねない曲である。
その2つに次いで再生数が多いのは熱異常という曲である。
この曲はいよわが足立レイというロボットを作るプロジェクトにインスピレーションを受けて作った曲と明かしており前2つと比べると、ものの終わりを意識させられてしまう曲である。ちなみに最近続編が出た。
一度でいいのであなたもいよわを聞きましょう!!!!!
見たらわかる通り一人で曲作って作詞して歌わせてイラスト書いて動画視聴サイトにコンテンツをアップできます。
さすが全部俺皆勤賞。(ちなみに多分小説も書ける)
作風
ピアノが目立つ、DAWを使ってはいるがピアノはほぼ録音。
美しい響きで つ 2 つ を刺激してきたと思ったらいきなりピアノぶん投げてきたりする作風。(火の玉ストレート・フォーク・チェンジアップ)クオンタイズされていない生の音をそのまま出すこともあれば弾いた音を容赦なくぶった切ったり逆再生したり微分音出したりやりたい放題の時もある。
作品
一番有名であろうものはきゅうくらりんで、youtubeで1.2億回再生、niconicoで1000万再生を突破しており、僕がいよわに出会ったきっかけであり、僕がいよわの曲の中で音の解析がトンデモ難しいと感じている曲、ピアノとふあふあシンセはギリわかるが後ろの謎の逆再生はマジで解析ができない。
僕がいよわを好きになったきっかけは1000年生きてるという曲であり、僕の中で世の創作観すべてを変えかねない曲である。
その2つに次いで再生数が多いのは熱異常という曲である。
この曲はいよわが足立レイというロボットを作るプロジェクトにインスピレーションを受けて作った曲と明かしており前2つと比べると、ものの終わりを意識させられてしまう曲である。ちなみに最近続編が出た。
一度でいいのであなたもいよわを聞きましょう!!!!!

