札幌西高校文芸部活動日誌
西高文芸部員が気のみ気のまま付ける活動記録。個性溢れる文章で日々の活動を記録していければいいのだが、果たしていつまで続くのやら……
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堆積していく知識の地層
久しぶりに自分語り。
……僕のカテゴリー内の記事ではこんなことばっかり書いていますが。軽くスルーして下さい。
最近、新しい作品を書くにあたって、その参考にと自分の思い描いている内容に近い雰囲気の作品を読み返しています。というのも、僕の文体は非常に「脆弱」で、新たに読んだ本の文章の影響がストレートに――恐らく他の人よりずっと――表れてしまうんですね。
小学生、中学生の頃に書いた作品に軽く目を通すとそれがはっきりとわかります。
(あれ、今よりずっと文章上手くね? というのがいくつあることか)
ずっとこれは悪いことだと受け止めていたのですが、最近、利点があることにも気付きました。
単純な話で、自分の作風を広げることができるのです。
例えば、推理小説を読んで、同じジャンルの作品を書いたとき、それは自分なりの「推理小説の文法」で書いています。その後にSF小説を読んで、このジャンルの作品を書けば、自分なりの「SF小説の文法」ができて、そこに「推理小説の文法」が入ることは、まずないのです。なぜなら前述のとおり、僕の文体は非常に「脆弱」であり、SF小説を読んだ時点で「推理小説の文法」は消え去ってしまっているからです。
自分のこの特性とも言える「文体の脆弱性」の本当の利点は、この先にあります。
消え去ったと思った「推理小説の文法」は完全には消えていないのです。
どういうことかといいますと、「SF小説の文法」が使われている間、「推理小説の文法」は一時的に引き出しの中で眠っている状態でしかなく、また推理小説を読めば以前の「推理小説の文法」で書けるのです。そしてその新しく読んだ推理小説の影響が以前の「推理小説の文法」と混ざり、新たな「推理小説の文法」が出来上がります。少しずつ進化していくのです。
自分の中に一つの「小説の文法」があって、それを磨き上げることによって「自分らしい作品」を作りだすことが一般なのでしょうが、僕にはそれができません。なら開き直って同一人物と思えない作品を書いてやろうじゃないか、なんていう妙な決意が作品作りのモチベーションになっています。
…………………………………………。
……でも、「SF小説の文法」も「推理小説の文法」も、最初から近い文体なんですけどね。
……僕のカテゴリー内の記事ではこんなことばっかり書いていますが。軽くスルーして下さい。
最近、新しい作品を書くにあたって、その参考にと自分の思い描いている内容に近い雰囲気の作品を読み返しています。というのも、僕の文体は非常に「脆弱」で、新たに読んだ本の文章の影響がストレートに――恐らく他の人よりずっと――表れてしまうんですね。
小学生、中学生の頃に書いた作品に軽く目を通すとそれがはっきりとわかります。
(あれ、今よりずっと文章上手くね? というのがいくつあることか)
ずっとこれは悪いことだと受け止めていたのですが、最近、利点があることにも気付きました。
単純な話で、自分の作風を広げることができるのです。
例えば、推理小説を読んで、同じジャンルの作品を書いたとき、それは自分なりの「推理小説の文法」で書いています。その後にSF小説を読んで、このジャンルの作品を書けば、自分なりの「SF小説の文法」ができて、そこに「推理小説の文法」が入ることは、まずないのです。なぜなら前述のとおり、僕の文体は非常に「脆弱」であり、SF小説を読んだ時点で「推理小説の文法」は消え去ってしまっているからです。
自分のこの特性とも言える「文体の脆弱性」の本当の利点は、この先にあります。
消え去ったと思った「推理小説の文法」は完全には消えていないのです。
どういうことかといいますと、「SF小説の文法」が使われている間、「推理小説の文法」は一時的に引き出しの中で眠っている状態でしかなく、また推理小説を読めば以前の「推理小説の文法」で書けるのです。そしてその新しく読んだ推理小説の影響が以前の「推理小説の文法」と混ざり、新たな「推理小説の文法」が出来上がります。少しずつ進化していくのです。
自分の中に一つの「小説の文法」があって、それを磨き上げることによって「自分らしい作品」を作りだすことが一般なのでしょうが、僕にはそれができません。なら開き直って同一人物と思えない作品を書いてやろうじゃないか、なんていう妙な決意が作品作りのモチベーションになっています。
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……でも、「SF小説の文法」も「推理小説の文法」も、最初から近い文体なんですけどね。
自分の「小説」フォルダの中には「落書き」フォルダがあります。
全く物語になっていなくても、書きたい情景があって小説の形式で書きたい。そんなときにサッと書いた文章はこの「落書き」フォルダに入っています。
--------------------------------
長い、長い下り坂だ。雲と青空のコントラストは夏の名残りである暑さを和らげるようにして、頭上に広がっている。車道の真ん中を自分の足でゆっくりと、確実に歩んでいく。車なんて辺り一帯を見渡しても一台も見当たらない。だからこうして堂々と車道を歩ける。
時折吹く風にも微かにではあるが夏の匂いが残っていた。頬を撫で、ワイシャツの襟から透き通るように入ってくるそれは、とても心地よかった。
夏が、終わった。紛れもなく、当然のようにして過ぎてしまった。
「――終わったんだ」
声に出して初めて気付いたような気がしてならない。
蝉がどこかへ行ったのも、この一帯にあったスイカ畑が綺麗に無くなっているのも。
全部、夏が過ぎ去った証拠だった。
今年の夏は、
思い切り笑えた。
心の底から涙を流した。
楽しくてしょうがない、
一番充実した日々で、
一番切ない日々だった。
あの瞬間、あの切り取られた空間は。
確かに、夏だった。
--------------------------------
去年の夏の終わりに、青空をぼうっと眺めていて書きたくなった文章です。
多分今は書けません。また夏の空を見ないと、「文体」を引き出せないからです。
こういうのをコレクションしておくと、案外楽しいものですよ。
全く物語になっていなくても、書きたい情景があって小説の形式で書きたい。そんなときにサッと書いた文章はこの「落書き」フォルダに入っています。
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長い、長い下り坂だ。雲と青空のコントラストは夏の名残りである暑さを和らげるようにして、頭上に広がっている。車道の真ん中を自分の足でゆっくりと、確実に歩んでいく。車なんて辺り一帯を見渡しても一台も見当たらない。だからこうして堂々と車道を歩ける。
時折吹く風にも微かにではあるが夏の匂いが残っていた。頬を撫で、ワイシャツの襟から透き通るように入ってくるそれは、とても心地よかった。
夏が、終わった。紛れもなく、当然のようにして過ぎてしまった。
「――終わったんだ」
声に出して初めて気付いたような気がしてならない。
蝉がどこかへ行ったのも、この一帯にあったスイカ畑が綺麗に無くなっているのも。
全部、夏が過ぎ去った証拠だった。
今年の夏は、
思い切り笑えた。
心の底から涙を流した。
楽しくてしょうがない、
一番充実した日々で、
一番切ない日々だった。
あの瞬間、あの切り取られた空間は。
確かに、夏だった。
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去年の夏の終わりに、青空をぼうっと眺めていて書きたくなった文章です。
多分今は書けません。また夏の空を見ないと、「文体」を引き出せないからです。
こういうのをコレクションしておくと、案外楽しいものですよ。
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COMMENT
No Title
それをこう、率直にまとめてもらえるとなんかすっきりするね!そうそうそれなんだよ、っていう←
落書きフォルダみたいなことはうちもやってるー
同じ趣旨かどうかはわからんけど、ケータイ・PCそれぞれに「メモ」ってのが作ってあってそこに他の人から見たら意味の分かんないような文章が並んでます(笑)
No Title
エッセイとして書いてもいいかもしれない
久々に何か書きたくなってきた